知っておきたい!日本とマレーシアのゆかり3選
2025/07/24
マレーシアへ留学を考えている皆さん、日本とマレーシアの間にどのような関係があるかご存じですか?
実は、私たち日本とマレーシアは、歴史的にも経済的にもさまざまなかたちでつながってきました。今回は、そんな“ゆかり”の一部をご紹介します。
■ 第二次世界大戦中の日本によるマレー半島侵攻
日本とマレーシアの関係を語る上で避けて通れないのが、第二次世界大戦中の日本軍によるマレー半島侵攻です。
日本軍は1941年当時イギリスの植民地だったマレー半島北部(現在のクランタン州・コタバル)に上陸しています。これが「マレー作戦(Operation E)」の始まりです。
これは太平洋戦争の一環で、マレー半島南端にあった重要拠点・シンガポールを目指したものです。
この時期、多くの現地住民が苦難を強いられたことも忘れてはなりません。特に反日活動が疑われた中国系住民に対する迫害(いわゆる「華僑粛清」)は、今も記憶に残る出来事です。マレーシアは今や親日国家ではありますが、この事実はしっかりと胸に留めておくことも大事です。
もっと詳しく知りたい方は過去にご紹介したクアラルンプールにある「マレーシア国立博物館」の日本語ガイドツアーに参加してみてください。
↓ ↓ ↓ ↓ 過去記事はこちら ↓ ↓ ↓ ↓
■ マハティール元首相と「ルックイースト政策」
出典:首相官邸ホームページ(https://www.kantei.go.jp/jp/98_abe/actions/201905/31malaysia.html)
1981年、マレーシア第4代首相のマハティール・モハマド氏が打ち出したのが「ルックイースト政策(Look East Policy)」。
これは「西(欧米)ではなく東(日本や韓国)を見習おう」という考えで、日本の勤勉さや企業文化、教育制度などをモデルとした国家発展戦略でした。
この政策の一環として、多くのマレーシア人学生が日本に留学したほか、日本の企業が現地でのビジネス展開を進める流れも加速。
とくに大きな成果をあげたのが自動車産業です。
マハティール氏は「国民車(National Car)」の構想を掲げ、日本の技術協力を得てマレーシア独自の自動車ブランドを誕生させました。
・PROTON(プロトン)
1983年にマレーシア初の国産自動車メーカーとして設立。
最初の車種「サガ(Saga)」は、日本の三菱自動車の技術支援のもと開発されました。
設立当初は多くの部品を日本から輸入して組み立てており、日本の生産管理方式(カイゼン)なども導入されています。
・PERODUA(プロドゥア)
1993年に設立された第2の国民車メーカー。日本のダイハツ工業が技術提携・出資しており、設計や製造技術は日本式がベースとなっています。
プロドゥアは燃費性能や手頃な価格で人気を集め、現在はマレーシア国内で最も売れている車ブランドとなっています。
■ クアラルンプールの象徴「ツインタワー」にも日本の技術が
クアラルンプールのシンボルとも言える「ペトロナス・ツインタワー」は、マレーシアの近代化を象徴する存在。
この88階建ての超高層ビルは、左右のタワーで建設を担当した国が異なることで有名です。実はタワー2は日本の建設会社「ハザマ(現・安藤ハザマ)」が施工を担当しました。
当時の日本の建設技術は高く評価され、厳しい納期の中で品質と安全性を両立させたことから、完成後も多くの技術者が評価を受けています。
■ 光と影の両面を知ろう
日本とマレーシアの関係には、光と影の両面があります。
第二次世界大戦中には、日本による侵攻と占領という重く、忘れてはならない歴史がありました。一方で、その後の時代には、経済・技術・文化といった分野でのつながりが深まり、現在では多くのマレーシアの人々が日本に親しみを感じています。
留学中に街を歩いていると、「えっ、こんなところに日本が?」と思うような場面に出会うこともきっとあるでしょう。
日本との“ゆかり”を知っておくと、そうした瞬間の意味がより深く理解でき、現地での生活がもっと豊かで楽しいものになるかもしれません。